3月4日 早稲田大学 柴田先生退官記念

3月4日に早稲田大学柴田先生の退官記念がおこなわれました。

柴田先生は、九州大学薬学部薬理学教室の学部学生、大学院時代からコロンビア大学留学関連、国際医療福祉大学での研究室立ち上げ、さらに現在もお世話になり研究の助言等 30年以上の年月になり、自分の中では研究関係が一番長い。

ボブムアーの研究室から九大に戻られ体内時計の実験系の立ち上げ、SCN組織培養と電気生理手法による体内時計機構の薬理学的解析、早稲田大学人間科学部、理工学部での研究室立ち上げ、そして時間生物学の栄養学への進化など弟子の1一人として柴田先生の研究者パイオニア精神を間近で勉強させていただいた。自分は大学4年で研究室に配属されラボヘッドの渡辺教授に将来海外に留学したいと言ったのがきっかけで柴田先生のところで体内時計の研究を始めるのだが、当時自分の大学生活は少林寺拳法部とバイト中心で大学卒業したら四国の武術専門学校に行き、中国の武術系のところに行くという意味で留学といったつもりが研究留学ととらえられバリバリ研究されていた柴田先生のところに配属されたのはびっくりしたのを覚えている。研究室配属後すぐに練習中に左顔面骨折をして左顔面がお岩さんのように腫れて数か月激しい動きができなかったため、3か月後にある大学院の試験を受けたのが研究の道に進んだきっかけである。柴田先生には非常に怒られながら研究していたが、体力だけはあったので朝8時前から夜中くらいまで実験していても苦にならなかったのが良かったのかもしれない。研究では自分が4年生で研究室に配属された時は、組織培養をもちいたSCNの薬理学的解析が自分のメイン研究テーマであった。柴田先生も実験をされていた時期でもあり、当時博士課程1年の富永先生と柴田先生と3人で、ラット脳SCN培養を、チームを組んで行っていたことを思い出す。SCNの培養組織作製はできていたが、薬物を投与した時の反応にデータがかなりばらつき、原因が不明だった。自分が研究室に入ってから数か月後には富永先生もSCN内ペプチド解剖学的解析プロジェクトで三菱化成生命研の井上先生のところに国内留学され、自分は卒研のテーマとして研究を続けていた。ある時偶然 SCN組織培養が安定して薬物に反応、電気生理学的解析や放射性物質2DGをもちいたSCN活動解析のデータが取れるようになった。1993年博士課程に入り、まだ哺乳類の時計遺伝子は発見されていなかったが、柴田先生から体内時計の研究は今後 分子生物学の知識と技術が必要となると教えられ、国内で体内時計の分子生物学的解析を行っている中島先生か石田先生となり哺乳類を扱っている石田先生のところに国内留学することになった。半年の予定が1年半ほどになり、この間に柴田先生が九大から早稲田大学に移られ、自分の取得した分子生物学の技術を柴田先生の研究に貢献できなかったことは申し訳なく思っている。ただ九州大薬理の教室には技術的なことは伝えられたとも思っている。今回、自分が九大に所属していた時のメンバーで体内時計の研究を夜中までやっていた2あるいは3つ下の学生だったメンバーと出会えたのは今後の研究の活力になった。やはり研究室はいいものだと思う。写真は今回集まった九州大学薬理学教室卒業生の1枚。

浜田俊幸

Hamada Lab.

Why do we become more susceptible to disease and disability as we age? 体内時計研究  Department of Pharmaceutical Sciences International University of Health and Welfare (IUHW) Tochigi, 324-801, Japan